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院長の生いたち

  院長の助村大作は、昭和23年(1948年)高知県宿毛市に、父義己 母良子の三男坊として生まれました。
 
父は、大林組(皇居や東京スカイツリー等多くの日本を代表する建物を建設した建設会社)に一級設計士として勤務していたので、転勤が多く、呉、三原、尾ノ道(広島県)、松山と転居の多い幼少期でした。
 
小さい頃は、「宿毛出身の吉田茂元総理大臣の次にエラくなるのは自分だ」と言っていたそうです。(笑)
 
小学校三年の時に広島市に転居し、宇品小学校卒業後、多くの有名人を輩出した( IBM社長など多くの政財界人、、日本の社長の出身高校ランキング全国4位。広島の医師の6人に1人が修道出身者)修道中学校、高校に進学しました。(その当時は優秀だったのに・・・ 涙)
 
中学、高校時代は水泳部に入り、最高の成績は中四国大会で銀メダルの成績でした。
水泳部の後輩には歌手の吉川晃司がいます。
 
修道には明文化された校則が存在せず、自由と自己責任が校風でした。
今の明るく、前向きで、ひょうきんな性格はこの頃培われたものだと思えます。
 
大学は、東京大学は少し無理そうだったので(笑)京都大学工学部志望でした。しかし、両親の「広島に居てほしい。広島大学に行けば車を買ってあげる」の一言に、広大では一番難関とされた、縁もゆかりもない歯学部を受験し、27倍と言う倍率の中、見事(笑)現役で合格しました。「広大では一番難しい学部に入る」と言う見栄だけの選択が、その後の人生の方向を決めてしまいました。(その当時は何も考えていませんでした。)
結局、母が買ってくれた車は「これも車」の一言で「自転車」でした。(泣)
 
大学の教養部時代はマージャン漬けの生活でロクに授業には出ませんでしたが、マージャンを通じて一生の友となる友人と出会いました。後で分かったのですが、彼は同じ歯学部(たった40名)のしかも同級生でしたが、お互い学校にはほとんど顔を出さないので入学2年後に、初めて知り合ったのでした。
 
彼を通じて、やはり一生の友となる二人に出会いました。これも後で分かったのですが、彼等二人は医学部生でした。
それからは、いつも4人でつるんで街中を自転車で徘徊するか、酒盛をするか、マージャンをするかの毎日でした。
 
彼等三人は高校の同級生で(小倉高校)ラグビー経験者でした。当時、歯学部、医学部にはラグビー部が無く、我々4人組は酒の勢いでラグビー部を作ることにしました。
当初は部員が集まらず、試合前にいつも雀荘にメンバー捜しに行ったものでした。
当時、「広大馬鹿四天王」と銘打ったマージャンの牌を持った4人組の銅像が広大の中に建つと、よく言われたものでした。
そんなラグビー部でしたが、ラグビー狂いの川崎教授(生化学 後の医学部部長)中心に少しずつ力をつけ、私が卒業する年は西日本医科系大学大会で優勝しました。その前年は金澤での試合でしたが、私を含め多くの部員がとてもここには書けない様な武勇伝を残し、ラグビーの方はさっぱりでした。
恩師川崎先生とは、奥様と一緒に我々4人組が毎冬招待し、ふぐを食べる会を行ない、今年で40年近くなります。
 
4人組は入学後、抜きつ抜かれつの留年進学を繰り返し、結局一番優秀な(笑)私が一番最初に卒業しました(昭和49年)。
 
卒業するまで私には多くのガールフレンド(古い?)が居たのですが、卒業する年の2月に、ラグビー部が開いてくれた私の追い出しコンパで妻となる女性と出合いました。
「出合った」と言っても宴会後「誰かの所へ連れて行け」と命令する先輩(私)に困り果てた後輩が連れて行ったのが彼女の室で、無理矢理上がりこんだ私は後輩と大騒ぎをして帰ったそうで、その時は彼女は「こんな奴は大キライ」と思ったそうです。
「何の縁」か「イヤよイヤよは好きな内」なのか、付き合う様になりました。付き合い出して3回目位に知ったのですが、彼女は医学部の4年生でクラスの人気のマドンナだったそうです。結局、その年の6月に婚約、10月に結婚をしました。(早!)
 
私は卒業後、国家試験に合格し広島市中心部にあった そごう百貨店の中の「センタービル歯科」に勤務しました。「妻を養わなければいけない」と言う自覚が生まれ、歯科の勉強も遅ればせながら一生懸命行なうようになりました。
 
妻が卒業した後のある年、彼女の父君(諫早市 三村眼科)が病気で入院したため、妻が手伝いに帰ることになり、私は義父の病院の一角で歯科を開業することになりました。当初は5年位したら開業資金を少しためて広島へ帰る積りでしたが、結局今年で37年、ついに諫早の人となってしまいました。
あの時の決断が人生を決める大きな決断となったのは、当時知るべくもありませんでした。
 
開業後は多くの患者様に支えられ、何とか近くの映画館の跡地を買い、建物(自宅兼医院)を建て、現在に至っています。
 
諫早に来た当時は、誰一人歯医者の知り合いも居らず同窓生も居らず、年上の先生から「諫早で唯一の国立大出の歯医者じゃもんな」といじられ、色んな経験もしましたが、何の縁か運命か、若い内から歯科医師会の役員をさせて頂き、結局、市歯科医師会会長、県歯科医師会理事、日本歯科医師会役員を任されることとなりました。
 
途中、内閣官房副長官(当時)の松谷蒼一郎国会議員や、私が仲人をした歯科医師で諫早出身の大久保ゆきしげ参議院議員の後援会会長なども役不足ながら引き受けてきました。
 
現在は、ほとんどの役職から身を引いて「何をおいても患者さまのため」をモットーに歯科医療に没頭、まい進しています。
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医院情報
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電話 0957-23-6212
住所 〒854-0026
長崎県諫早市東本町4-8
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・諫早市の中心部 アーケード近く。

・諫早郵便局の前で、親和銀行のとなりです。
・駐車場は16台分あります。
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